【三国志】v2 今日のゲスト:劉備 玄徳(りゅうび げんとく)

こんにちは、ヤナギです。
2回目の今日はこの人です。

 

【本日の主人公】:


劉備(りゅう び) 字:玄徳(げんとく)

 

【出身・生年没年】:


河北省出身 161-223

 

【所属勢力】:

知名度】:
S


(S:三国・戦国に詳しくない人でも知っている。A:少しかじったことのある人なら知っている。B:三国・戦国が好きな人なら知っている。C:三国・戦国がかなり好きな人じゃないと知らない。D:まず知らない。E:ヤナギもよく知らない。 ※筆者であるヤナギの主観による。)

 

【主人公のプロフィール・生涯】:


言わずと知れた、三国志演義の主人公です。

地方の貧しい家に生まれたが、皇帝の親戚である家系に生まれ、義の下に天下を正そうと黄巾の乱の時には義勇軍を結成して参戦。
義兄弟である物凄い豪傑、関羽張飛と共に活躍し、一定の官職と地位を得た。

その後、天下無双の武を誇る呂布に攻められたり、曹操と一緒に呂布を倒したりと紆余曲折あったが、当時の皇帝(献帝)から、自分を人形のように操ってやりたい放題やっている曹操を倒してくれと密命を受ける。
劉備はこれに応じて曹操を殺そうとするが、決起前に計画が漏れて生涯曹操に追われることになる。

 

各地で敗戦を続ける劉備だったが、名軍師の諸葛亮を仲間にしてから飛躍する。

曹操と戦うために、長江の下流域に勢力を張っていた孫権と同盟を結び、赤壁の戦いにおいて曹操を追い払う。
曹操孫権の戦いの混乱に乗じて肥沃な荊州地域を占領、その勢いに乗って益州(蜀)にも攻め込み、蜀の皇帝に就く。

 

頃合いを前後し、荊州は義兄弟の関羽が守備をしていたが、これをよく思わない孫権(呉)が魏と同盟を結び、関羽を攻めて処刑する。
これに激怒した劉備は、全軍をあげて呉を討とうとするが、その過程において部下の裏切りにあった義兄弟の張飛が死亡する。

関羽張飛を失い、諸葛亮の諌めも聞かずに怒りに任せ、国力の大半をつぎ込んで呉に攻め込んだ劉備は、若い(といっても当時40歳くらいの)軍師、陸遜の火計を喰らい、夷陵の戦いで呉に大敗。
逃げ帰った白帝城において、後事を諸葛亮に託して失意の中で息を引き取る。

 

【エピソードや特筆すべき事項】:


1.人肉を食べた疑いあり。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%8B%E3%83%90%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0


三国志演義の話なので創作の線が強いですが、呂布という豪傑に負けて逃げていた時、ある民家にかくまってもらうことになります。
民家の主人は豪勢な肉を出して劉備をもてなし、劉備は大変満足します。
しかし、劉備が台所をふとのぞいてみると、そこには人骨が転がっています

驚いた劉備が主人に、人の骨が落ちてますよと伝えると、主人はこう言ったとか。

実は、その骨は私の妻のものです
劉備様のような高貴な方をおもてなし出来る食材は、拙宅にはありません。
しかし、それでは大変失礼に当たりますので、せめてもの気持ちで、妻を(文字通り)料理したのです。

 

これを訊いた劉備は、グエッと嘔吐するではなく涙を流して感動し、その主人の息子を自分の養子にしたとか


これは中国では美談とされているのが凄いですね。
ちなみに、日本でもこれを元にした(?)鉢木という似たお話があります。

ja.wikipedia.org

 

2.死に及んでの最後の策略が凄い。

劉備夷陵の戦いで呉に敗れてその後病没します。
この時の状況を説明すると、蜀の皇帝になってしばらく経ちますが、劉備に従った第一世代の人材の多くが世を去り、世代交代が行われつつある時期です。
逆に言うと、第一世代による支配・抑え込みが緩みつつあり、第二世代が力を付けている状況です。


易姓革命思想を考慮すると、劉備が地方豪族レベルの時から従ってくれた第一世代は、文字通り苦楽を共にした盟友と言え信頼も厚いと思いますが、第二世代は少しうまく行き始めた頃から従った人物なので、信用の面では少し落ちます
自分の子供が、この第二世代や第三世代に皇帝の地位を簒奪されるのではないかと普通は考えるでしょう。


そして、この第二世代の最有力者かつ最高実力者が諸葛亮です。
劉備とは水魚の交わりと言われており仲が良いイメージはありますが、現代で言うところの経営者と懐刀の関係性は考慮すべきでしょう。
つまり、劉備としては、三国志の時代を生きた人物で最も頭が切れる有能な人物であり、その実績や恐ろしさをつぶさに見てきた諸葛亮が部下として高位にいるわけです。
これを警戒しないことはあり得ないでしょう。


そういう状況の中、次のような遺言を諸葛亮始め居並ぶ者に残します。

君(諸葛亮)の才能は魏の曹丕曹操の息子)の十倍はある。
必ずや国に安定をもたらしてくれる事だろう。
太子禅(劉禅劉備の息子)が皇帝としての素質を備えているようならば、彼を補佐して欲しい。
だが、もし太子が補佐するに足りない暗愚であったならば、迷わず君が国を治めてくれ


これを訊いた諸葛亮は、後日劉禅に提出する出師の表の中で「恩を受けて大変感動した。」と言っています。
しかし、諸葛亮ほどの人物が劉備の気持ちを見抜けないわけはないので、相当枷になったと思われます。


もし、劉備の息子の新皇帝がダメなやつだった場合、劉備の遺言に従えば取って代われということですが、それを実際にやってしまえば人望を失います。


これも今風に考えれば見えてくると思いますが、ある経営者が一代で築いて大きくした会社は、良くも悪くも社長のカリスマで人が集まってきて持っているといえます。
そのカリスマ社長が退任するとき、残った人が、①カリスマ社長の息子で無能者、②優秀なのは誰の目にも明白なたたき上げ、のどちらに従うでしょうか。

残った社員の立場から考えると、何もなければ②でしょう。しかし、遺言がある状態では状況が違います。

②の人が社長の遺訓を元に①の息子を切り捨てて社長になってしまったら、

「先代は確かにああいっていたけど、それを本気にするような奴にはついて行けない。いずれ自分も粛清されるだろう。」
「自分は先代社長に惚れ込んでいただけで、あいつが好きなわけではない。あいつの下にいたくは無い。」

と思い始めることは目に見えており、これでは諸葛亮も動けないでしょう。


ということで、劉備は死において、自分の息子が生き残るための最後の重石を諸葛亮に負わせたことになり、部下の才能を縛ってでも自分の息子の生きる道を残した策略は相当な上手ではないでしょうか。

願わくば、その策略の少しだけでも、夷陵の戦い前に思い付けばよかったのですが。

 

【ヤナギの月旦評】:


とにかく、カリスマ性は三国志ではないでしょうか。主人公はやっぱりこの人でしょう。

特に物語として適している点が、劉備は戦も政治も策略も"そこそこ"だった点でしょう。
戦は関羽張飛趙雲が、政治は麋竺孫乾が、策略・戦略は諸葛亮ホウ統劉備より上ですが、この人たちをうまく使った、使える実直さやひた向きさや素直さや志があったのでしょう。


さすがに、息子の劉禅のような暗愚であればついて行きたくなくなりますが、「この人を助けてあげたい。力になりたい。」と思われる性格だったと思います。


惜しいところは、夷陵での大敗ですが、それも義兄弟との義を優先したという人間らしい面ともいえ、失敗すら魅力になる人だったのでしょう。

 


陳寿の評価>
「度量が大きく強い意志を持ち、おおらかな心をもって礼儀正しく人に接し、人物を良く見極めて、ふさわしい待遇を与えた。
それらは前漢の高祖(劉邦)に通じ、英雄の器を備えていたといえよう。
国のその後を諸葛亮に全て託すのに際して、何らの疑念を抱かなかったことは、君臣の公正無私な関係を現すものとして、永遠に手本とすべき事例である。
好機を得るための機知や、行動の根幹をなす戦略では、魏武(曹操)に及ばなかったため、勢力の基盤となる領土も、その才能の差に準じて狭かった。
しかし、挫折して人に屈しても諦めることなく、最終的には誰の下にも居らず独立したのは、彼ら(=庇護者)の器量を考えた時、自分を何時までも許容し続けてくれるような人間だとは到底思えないがためにそう(=独立)したのである。
単純に自分の利益だけを考えての事ではなく、自分にふりかかった災難を避け、殺されないようにするためだったと言えよう。」(『蜀書』「先主伝」)。


最大限の賛辞だと思います。
何らの疑念を抱かなかった、というのは私と評価が違いますが、相当な器の大きさは感じられます。

 

<ゲームの中>
ゲームの中でも大体において主役の位置づけです。
曹操には及びませんが、全体的に能力値は高めで魅力はトップクラス。

戦争や内政での神懸かり的な活躍は見込めませんが、部下にそれができる人物が多いので問題なし。

劉備でプレーするときは大体君主の地位におり、君主自ら何かをやることはあまりないことを考えれば、十分に楽しめる武将です。


また、主人公キャラなのでイベントが豊富です。

曹操との英雄談義
呂布処刑の際の曹操への諫言
三顧の礼

など、ゲームをやりながら三国志の勉強ができるのは良いですね。


後は、蜀は国力が低いのが難点で魏や呉と比べると不利です。
しかし、困難ほど燃えるものですので、ゲームバランス的には少しチャレンジングでちょうどいい勢力かもしれません。

 

【ヤナギが思う、主人公に似たタイプや似た人】:
一代で財を築いた、腰の低いカリスマ経営者


劉備の魅力は、自分自身に能力がそこまで無かったこととそれを自分で認めていたことだと思います。
IT系ベンチャーにありがちな、「オレがオレが」と前にしゃしゃり出る外資系コンサル出身の頭のよさそうな、だけど冷酷さを隠しきれていない社長と違い、

「経営で最も重要なのは、人をうまく使うこと。」
「人をうまく使うには、人が自分を信用してくれなければならない。」
「そのために、常日頃から自らは私情を捨てて志高く持ち、清廉潔白を常とし、人から後ろ指を指されるようなことを決してしてはいけない。」
「これさえできれば、社長自身に特別な能力や資格や人脈はいらない。」

と言いそうな気がしています。(私の妄想です。)

おそらく、こういう性格は天賦の才能であり、どの時代どの場所で生まれたとしても成功できる人物ではないでしょうか。


今日はこの辺で失礼します。

柳 ショーゴ

【戦国】v2 今日のゲスト:上杉 謙信(うえすぎ けんしん)

こんにちは、ヤナギです。
諸事情により期間が空いてしまいましたが、2回目の今日はこの人です。


【本日の主人公】:
上杉 謙信(うえすぎ けんしん)

 

【出身・生年没年】:
越後(新潟県)  1530-1578

 


【所属勢力】:
上杉家(長尾家)

 


知名度】:S
(S:三国・戦国に詳しくない人でも知っている。A:少しかじったことのある人なら知っている。B:三国・戦国が好きな人なら知っている。C:三国・戦国がかなり好きな人じゃないと知らない。D:まず知らない。E:ヤナギもよく知らない。 ※筆者であるヤナギの主観による。)

 


【主人公のプロフィール・生涯】:
越後の国の戦国大名で、通称「越後の龍」「軍神」
元々は越後の守護代であった長尾家に生まれる。長男ではなく、兄が長尾家の家督を継いでいたが、その兄が病弱でありそこまで優秀でなかったため、最終的には兄から家督を相続する。
以降、持ち前のセンスで越後を統一。
そんな折に関東管領室町幕府の高官職)の上杉憲政北条氏康に追われて庇護を求める。謙信は憲政のために戦い、その後、功績が認められ上杉憲政の養子となって関東管領の地位と上杉性を貰い受ける。

 

時を前後して、隣国の信濃では武田信玄に追われた豪族が何人も、謙信に助けを求めて来る。これは放っておけないと川中島に出陣し、武田信玄と激闘を演じるが最終的には決着つかず。

他にも、北条、一向一揆宗、周辺国の大名とも激戦を繰り返し、信長包囲網にも参加したが、遠征出陣前に急死。
生涯戦場を駆け回る人生だったと思われる。

 

【エピソードや特筆すべき事項】:

1.上杉謙信女説と不犯

上杉謙信女性説 - Wikipedia

 実は上杉謙信は女性であったという説があります。
理由の一つはまずは体格で、残された鎧から推定される身長は156cm。当時の男性の平均身長(159cm)より低いです。

また、趣味嗜好の面でも女性っぽさがあります。

源氏物語を始めとする恋愛物を好んで読んでおり、上洛した際に開催した歌会でも見事な雅歌(恋歌)を読み、参加者全員を驚かせたとか、生涯妻帯しなかったとかです。

あとは、生理による腹痛があったとか、それによって長期戦が出来なかったとかありますが、ロマンはありますがやっぱり創作の域を出ないでしょう。


理由としては私見ですが、何と言っても、生まれたときに何が何でも謙信を男として偽っておきたい理由が無いですね。


上杉謙信の父親の長尾為景には謙信より上に男子(謙信から見ると兄)がいましたので、謙信が生まれた時には既に家督を継ぐべき人はいました
また、為景は謙信のことをそこまで好きではなかったようで、謙信6歳の時に林泉寺(≠尼寺)に入れてもいます。

多産多死の時代とはいえ、家督を継ぐべき人がいるのであればそれ以降は政略結婚に使える娘がいる方が家としてはやや有利ですので、もし仮に謙信が女であったとしたなら、堂々と女として扱うでしょう。
少なくとも、生まれたときからしばらくは女として育てられていてしかるべきだと思います。


そのような事実が文献から窺えない以上は、やはり謙信女説は相当怪しいと思われます。


ただ、生涯妻帯しなかったことは事実のようです。
しかし、妻帯しない=女と交わりが無かった、ということではないですし、妻帯しない=男にも興味が無い、ということでもないため、女遊びや当時の流行であった男色はあったのではないかという説もあるようです。

 

2.異常な高勝率

何を持って戦の勝ち負けを測るかは難しいですが、謙信の高勝率を主張する人は多いようです。

www.joetsutj.com

これはライバルの武田信玄も恐れていたようで、最も激戦であった4次川中島の決戦は、信玄が得意で謙信が比較的苦手な野戦であり、かつ、信玄が事前に良い場所を確保したうえで誘い出した戦であったようです。
(逆に、信玄が決戦から逃げ続けるので、謙信が信玄を誘い出すために相手の得意かつ自分の不利な布陣で野戦に持ち込んだ、という考えかたもあります。)
謙信にとっては負けの可能性が高い布陣での戦を強いられていましたが、それでも引き分けに持ち込むのは凄い。むしろ、信玄の実弟や軍師山本勘助を討ち取っているわけで勝ちに近いでしょう。


また、謙信の周りには武田だけではなく、北条という名門もいましたので、それらと渡り合いながらの負けの少なさは異常なレベルと言えます。


一方で、兵装は他の大名とあまり違いが無かったようですが、この高勝率の源泉は何なのか?


これも私見ですが、強運と自信の正のスパイラルがうまく働いたのではないかと思います。
唐沢山城という城を何が何でも救うため、謙信は甲冑なしで数十騎を従えて北条の3万5千の敵に突撃し、敵が何らかの策を警戒して手が出せない中で城に突入・救援したという逸話がありますが、こういう積み重ねが、この人は神懸かっていると思わせることに成功したのではないかと思います。ちょっとドラマ仕立てにすると、


謙信「突撃。(勝てるかどうかわからんけど、やけっぱちでとにかく突っ込んでみよう。)
兵士「イエッサー・・・(こんなんで勝てるわけないじゃない。討死もんですよ。)

※強運により、うまくいった。

謙信「な、オレが言ったとおりだろ。」
兵士「凄い。」

 

後日

謙信「突撃!(勝てるか判らんが、今回も前回みたいにうまくいくんじゃね?)
兵士「イエッサー。(前回のことがあるから、勝てそうだ。頑張ってみよう。)

※強運+兵士の敢闘により、うまくいった。

謙信「オレは毘沙門天の化身だからな、当然だ。」
兵士「マジ謙信さんすげーっすよ。」


さらに後日

謙信「突撃!!!(オレは毘沙門天の化身だ。だから弾や矢に射殺されることは絶対無い)」 ⇒自信満々で勇ましい姿。
兵士「イエッサー、ボス!!!(前も死ななかったし、本当に化身かもしれない。だったら、自分たちは絶対に勝てる。)」 ⇒兵士奮戦。
敵兵士「迎撃。(やべえ、化身が来た。これは負けるかも。)」 ⇒怯えて本来の力が出ず。

※負け戦を勝ち戦にできた。

 

そして、実際に謙信は戦死しなかったわけですし、戦う前から気持ちの面で勝負がついていたのではないかと考えています。(現に、武田信玄はなるべく謙信との戦を避けたわけですし。)

 

【ヤナギの月旦評】:


武田信玄のライバルですが、おそらく実力は上だった
実力だけでなく、関東管領という高い地位、上杉という高い家柄、そういった他の大名が得にくいものも手中に収めた天に選ばれし者


そのような地位や家柄もあったためか、謙信には色々な人が泣きついてきます。
持ち前の正義感から、これは放っておけぬと武田や北条との不利な戦もいとわず、損得を抜きにした義を重んじる行動は人気の秘訣。


そうすると、武田以上に天下統一に近かったのではないかと思いますが、そうできなかった事情が複数あったのが残念。


・武田と同じ連合政権
越後も国人の力が強く、昔からの守護代(の一つの家)にすぎなかった長尾が行動を起こすには、彼らの支持が無ければ動けません。
国人の不和をまとめることに嫌気がさした謙信は出家を決意することもありましたが、国人をもっとうまく利用できれば領土は広がったかもしれません。


・立地が悪い
越後は米所で土地は肥沃ですが、世界有数の豪雪地帯で冬は全く行動できません。
冬の間は越後にくぎ付けにならざるを得ず、その点が領土拡大に動けなかった一因でしょう。


・天下統一の発想が無かった
明確に根拠があるわけではありませんが、たとえば、旧来の体制を革命したいと思う人が、旧来の体制の高官を得ることはまずありません。
織田信長は将軍足利義昭から副将軍や管領を打診されて断っています。室町幕府を倒して天下を統一しようとする人がその官職を得てしまうと、周りに混乱を生じさせます。


信長の場合は単純にそんな名ばかり官職いらないよと思ったのかもしれませんが、少なくとも関東管領を得た謙信には、室町幕府再興の思いの方が強く新しい幕府を開こうというところまでは発想が至らなかったのではないかと思います。


でも、謙信は天下統一しなくていいんです。
天下統一するには、どうしても謀略やだまし討ちが必要で、自らの手を汚さずに統一はあり得ないです。
義の人である謙信に、そんなことをさせてはいけないと思います。

だから、天下統一を目指さなかった謙信は良い意味でそれでよかったし、だからこそ人気がある所以かと思います。

 

<ゲームの中>
ゲームの中では、信玄と同じように最強クラスの総合力です。
やはり信玄と同じく万能型ですが、特に騎馬を率いれば、触れる敵部隊は消し飛びます。
加えて、直江兼続などの智将、柿崎景家などの勇将もいますし、港をもっている越後の地理的にも比較的恵まれ、バランス的には最も統一しやすい勢力でしょう。


周りに伊達、北条、武田、織田、一向宗などがいますが、内政を含めた総合力で一つずつ攻めれば難なく潰せます。
後継者の上杉景勝も優秀、関東管領の役職もあるので率いる兵力も多い、恐れるものは何もないですね。


なので、ここは自分で枷をかけましょう。
上杉謙信は謀略を嫌う人ですから、いっそのこと実直にゲームをやってみるのも一興です。

具体的には、敵勢力からの武将引き抜き禁止、奇襲は禁止、敵領地の治安下げるとか敵武将の忠誠下げるとかの工作はもってのほか、だけでなく、落ち目の大名には塩を送って物資を提供、とかです。
まあ、そこまでやっても普通にやっていれば統一できますね。

 

【ヤナギが思う、主人公に似たタイプや似た人】:
頼まれると嫌とは言えない究極のお人よし政治家。


謙信は人望も地位も家柄も高くなりました。でも、人格者なので威張り散らすことはありません。
現代でもそうですが、金や権力がある人のところには有象無象の輩が集まってきます
その中には、表向きは正義を語るが裏で自分のことしか考えていない、謙信を利用してやろうという人たちもいたと思います。


そんな奴らはつまみ出したいところですが、人格者の謙信はそんなことしません。
基本的にすべてを受け入れ、頼ってくれる人のために損得抜きで全力で戦います。

それに嫌気がさし、家臣の反乱も何度かありました。

でも、謙信は度量が広いのでみんな許してくれます。
普通であれば本人は死刑、家族も連座して死刑ですが、それを許してくれた謙信に心底惚れ込んで結束が固くなり、強くなるのでしょう。


武田信玄よりは剛腕かもしれませんが、上杉謙信がが自分の選挙区から立候補してくれれば、自分は迷うことなく一票を投じますね。

 

今日はこのあたりで失礼します。

 柳 ショーゴ

【三国志】v1 今日のゲスト:陳寿 承祚(ちんじゅ しょうそ)

 

こんにちは、ヤナギです。
三国志の第一回目はこの人です。


【本日の主人公】:
陳寿(ちん じゅ) 字:承祚(しょうそ)

 

【出身・生年没年】:
四川省出身 233-297

 

【所属勢力】:
蜀・晋

 

知名度】:A
(S:三国・戦国に詳しくない人でも知っている。A:少しかじったことのある人なら知っている。B:三国・戦国が好きな人なら知っている。C:三国・戦国がかなり好きな人じゃないと知らない。D:まず知らない。E:ヤナギもよく知らない。 ※筆者であるヤナギの主観による。)

 

【主人公のプロフィール・生涯】:
蜀に使えた官僚。蜀が滅んだのちは晋に仕える。その時に地方史を編纂し、その功績を高く評価され、その流れで正史である三国志を編纂した。

 

【エピソードや特筆すべき事項】:

1.三国志の編集
やはり、これが彼の一番大きい功績ですね。

ただ、三国志陳寿が編纂した時代と場所は、魏から皇帝の位の"禅譲"(≠簒奪)を受けた晋の時代の、晋の政庁内です。
なので、当時の有形無形の圧力により晋は当然のこと、魏に対する悪口は書けません。

また、彼は蜀の出身でした。
なので、蜀の悪口も書きません。

 

一方、彼の父親の陳式という人は、自身の命令違反で諸葛亮から罰を受けています。(正史三国志では頭を丸坊主にさせられる刑を受けた。一方、演技では斬首)
なので、諸葛亮やその息子の諸葛瞻には厳しいです。

 

こう考えるとかなり私的事情の含まれた怪しい本のように見えるかもしれませんが、かなり細かい描写や調査した形跡もあり、概ね正しい信頼できる史料と考えられています。

 


2.親不孝者
ヤナギもよく知らなかったのですが、この人は二回も親不孝をやっているようです。

1回目:父親の喪が明けないうちに薬を飲んだ。
2回目:母親の遺言に従って、母親が希望する地に埋葬した。

 

日本人としてはよくわからないですが、1回目は、「親の喪に服している間は、子供は自分のことを気にかけてはいけない。」という儒教思想から、2回目は「死者は郷里に埋葬する」という儒教の慣習から、それぞれ外れたからだそうです。

 

しかし、これで親不孝だったら現代人の大半は親不孝でしょうが・・・。

 

【ヤナギの月旦評】:


教養・識見の高い官僚の割には、結構人間っぽいところがあると感じさせます。

史書には公正な視点が必要ですが、やっぱり人間の好き嫌いはあるのでそれは出てしまいますし、親不孝と言っても、ちょっとそれは酷なんじゃないの?と思えるエピソードですよね。


陳寿のような人が儒教や慣習を知らなかったとは考えにくいので、「自分が体調を崩すことの方が親が悲しむだろう」と思って薬を飲み、「母親には最後まで従い、尽くしたい」という思いから遺言を守ったのではないかと思います。


<ゲームの中>

ゲームの中では、文官寄りの凡庸な能力。
官僚なので戦争向きではないですが、もう少し政治力や知力が高くてもいいかと。

ただ、歴史書の編纂は相当な能力が必要だと思いますので、是非彼の能力が発揮できるシステムをゲーム内に構築してほしいですね。

 


【ヤナギが思う、主人公に似たタイプや似た人】:
クラスで3番目に頭がいい、大人しい眼鏡をかけた生徒


勝手なイメージですが、1番目は孤高の天才、2番目は天才にはかなわない性格のひねくれた秀才、というイメージがあります。
陳寿は人間味のある3番目、という感じです。

 

今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ

 

【慶應義塾大学】慶応大学はどんなとこ? その4

こんにちは、柳です。
前3回に引き続き、慶應義塾大学についてお話してみたいと思います。
今回が最後ですので、もう少しお付き合いください。

 

Q:三田会ってどう?

 

慶應義塾大学のメインキャンパスは港区三田にあり、慶應義塾の同窓会は「三田会」と言われます
この同窓会組織ですが、一つの団体所属経験者の組織としては日本最大最強だと思います。(これも社中協力の精神です!)


地域別、業界別三田会にとどまらず、企業三田会(勤め先の会社の社員・役員で構成された三田会。くわしくはこちら)なんてのもあり、企業三田会に所属して会合に参加すれば、大企業の新入社員でも社長や役員と会って直接話ができる機会もあるようです。

 

また世界各地にも三田会があるので、どこかに駐在することになったけど知り合いがいなくて不安だ、という時でもその都市の三田会に顔を出せば有用な情報がもらえます。

ちなみに、ニューヨーク三田会には1,300人の会員がいる模様。

 

私も、在住地域の三田会で財閥系列企業の常務経験者とつながりました。
日本でビジネスをやっていく上では、企業者でも勤め人でもこの三田会組織をうまく使えば他大学出身者より相当有利に展開できると思います。

ただし、私の場合はビジネスがどうこうというよりも、自分の父親以上の年齢の飲み友達がいる、って感じでもあります。

 


個人的に、何だか凄すぎて引くほどだな、と思うことが二つあります。


一つは、「三人寄れば三田会」という慶應内での格言。もちろん、「三人寄れば文殊の知恵」から来ています。
三田会は非公認であれば自由に作って構わないので、どこかで慶應出身者3人が知り合ったら三田会を結成できる、という格言です。

慶應出身者はみんなこの格言を知っており協力的なので、手を挙げれば年齢・性別その他関係なく参加してくれると思います。そして、こんな三田会作ったんですよって話を出せば、ほぼ全ての人が好意的に見てくれます。


二つ目は、「早稲田三田会」の存在です。
慶應のライバルである早稲田。その中に、早稲田大学の教職員のうち慶應出身者で構成される三田会があるようです。

ライバルの心臓部にも入り込んでいる三田会、なんだか恐ろしい感じがしました。

 

Q:学園祭はどう?

 

毎年11月の下旬に4日くらい連続で開催されます。
(マイナス面で)かなり話題になったミスコンがあったり、出店があったりよくある学園祭という感じです。
私はゼミに所属していましたので、研究発表をやってましたね。

研究発表を聞きに来る人は卒業生(ゼミの先輩)とか、同じ学部の友人とかなんですが、研究発表は結構しっかり準備してやります。
その分野に興味ある高校生だったら理解できると思いますので、大学の雰囲気や講義内容に興味があればぜひどうぞ!(大学は、学びたい・知りたいという人には基本ウェルカムです。)


あと、今は分かりませんが学園祭期間中はキャンパス内でナンパが繰り返されると聞いたことあります。

ただし、キャンパス内でナンパするのは慶應の学生ではないことが多いらしく、
慶應生との出会い目当てできた他大学の女子学生を、
同じく出会い目的で来た他大学の男子学生が、
それぞれ「私は慶應生だ」と自身を偽って、
慶應のキャンパス内でナンパする、
という事象です。

なので、学園祭の時期は自称慶應生には注意しましょう。

 

Q:早稲田に対しては?

 

野球やラグビー早稲田大学と慶応大学が戦うことを早慶戦と呼び、両大学はライバル関係にあるとされます。
ただ、自分の学生時代の感覚から言うと、どちらかといえば早稲田側の方が慶應を強くライバル視している雰囲気はありましたね。

ちなみに、六大学野球慶早戦(※慶應内では早慶戦のことをこう呼ぶが、学内でもなかなか定着していない。)が平日にあるときは、1限のみ授業があって2限以降の授業が休みになります

趣旨としては、「2限以降休講にするから、みんなで神宮まで応援に行ってください。」というものですが、応援に行かなくても休みになるので、学生としては内心うれしいです。


ただ、早慶戦の日程が微妙です。
六大学野球のルール上、各大学が総当たりで一大学相手に3戦やるのですが、先に2勝すればその時点で終わりです。(3戦目は行われない。)
そして、慶早戦の第1戦は土曜日、第2戦は日曜日に行われるので、1勝1敗又は雨天順延があれば、月曜日の2限以降は休講確定です。

このルールから、慶應が2連勝してしまったときの月曜日は学内に微妙な空気が流れます
自分は、不謹慎ながら「早稲田もう少し気合出せよ!」と思ったものでした。

 

 Q:慶應に入ると何かいいことあるか?

 

高校卒業して専門学校や働くという選択肢ではなく、大学に行きたいと考えるのであれば慶應義塾大学はお勧めです。

ビジネス最強の三田会組織、人脈、ステータスという物も手に入るのかもしれませんが、個人的には勉強しようという雰囲気があるのが良いですね。

ちゃらい、勉強しないイメージが世間的にはあるのかもしれませんが、半学半教の精神のためか教授陣も質問にはかなりウェルカムですし、学生もちゃんとやる人なら勉強や社会・制度についての深い話もできますので、学びたいという人には良い環境・刺激があると思います。

あとは、資格試験を目指す人が多いので、影響受けて勉強を始めるという人が多くいます。
私は公認会計士ですが、恥ずかしながら大学に入るまで公認会計士という資格や仕事を知りませんでした。
経済学部の同じクラスの人がダブルスクールで会計士講座を受講していて、じゃあ自分もやってみようかと思い立ち、運よく在学中に合格できましたので、自分が今まで知らなかった仕事を見つける場を提供してくれた大学には感謝しています。

 

Q:就職に有利?

 

自分は卒業してすぐに監査法人に入ったので一般の就職活動はほとんど経験していないのですが、不利になることはほぼないと思います。(ネット記事が元ネタの余談ですが、ヤクザ組織のような中卒有利、大卒はカスというような概念がある組織では不利です。)

 

会社によっては説明会ブロックとかあるようですが、慶應生がブロックされることはまずないでしょう。
ごく一部の例外的事情として、「こんなにスペックの高い人に入ってもらっても、うちの会社では適切なポジションが提供できず、満足せずに辞めてしまうだろう。」と考える会社では相性良くないかもしれませんが、そういう会社は大企業では存在しないので、大企業を目指すなら気にしなくてOKです。


OBOG訪問するときも社中精神から簡単に見つかるようですし、面接官も先輩だということもざらです。
唯一の不利な点としては、「SPIなどのペーパーテストを全員に課す会社」ですかねぇ。(自分は割と得意な方なので、人によると思いますが)

 

Q:ミス慶應の事件については?

 

詳細はこちら。

www.excite.co.jp

 

ミスコンテストを主宰する団体が、未成年者飲酒、公然わいせつ、強制性交をしたのではないかという疑惑により、団体は解散、その年のミスコンテストが開催されなかったという事件です。

どこまでが真実かどうかわかりません。そして、正直私はミスコンに何の思い入れもないですが、その前提で私見を述べさせていただくと、「こういうことは起こりうるだろうな。」という感想です。

理由を申しますと、やはりどんな大学にもどんな団体にもいろいろな人がいますし、善人だけではありません。
中には調子に乗った悪人がおり、スーパーフリーのような事件を起こすような者もいます。


もちろん、それは慶應義塾でも例外ではありません
むしろ、「慶應?凄いですね。」と持ち上げられてきた人が多いですから、有能性の錯誤というか、自分が偉くなった、選ばれた人間のような気がして何をやっても許されると勘違いする人は他大学より多いんじゃないかと思います。


擁護できる余地は皆無で、私もこうならないように謙虚に生きていこうと思います。

 
以上、慶應義塾について長々とQ&A形式で私見を書いてきましたが、慶応大学に入学するかどうか、周りにいる慶應卒の人の思考の理解の助けになれば幸いです。

 

今日はこの辺で失礼します。
柳 ショーゴ

【慶應義塾大学】慶応大学はどんなとこ? その3

こんにちは、柳です。
前回と前々回に引き続き、慶應義塾大学についてお話してみたいと思います。

今回はもう少し細かい内部情報について触れていきます。

 

Q:塾生内の面白い隠語は?

 

大学に所属する学生は一般的に大学生と言いますが、慶應の場合は慶應義塾の生徒という意味で「塾生」と言います
塾生と言えば厳密には高校以下の付属の生徒も含まれるんだと思いますが、ここでは慶應義塾の大学生という意味で使います。

 

隠語は色々ありますが、面白かったのが「在日・来日」です。

制度を説明しますと、人数の多い、文、法、経済、商の学部は1,2年生を日吉キャンパスで、3,4年生を三田キャンパスで学びます。(文学部は1年が日吉、2年以降が三田だったと思います。)

これは、1,2年生に取るべき必修科目は日吉でしか開講されないため、3年生以上になって1,2年生の必修科目を取れていなければ、日吉に通って授業に出なければならないことを意味します

これを、日吉に来て授業に出るという意味で「来日」と言います。


また、慶應義塾にも当然留年の仕組みがあり、2年生から3年制への昇級が少し難しくなっています。
この壁を越えられずに留年してしまった人のことを、日吉に在り続けたという意味で「在日」と言います。


つまり、来日・在日は不名誉な状態であり、これを避けるためにみんな頑張ります。
一応念のため申し上げますが、入学試験に合格した人であれば普通に授業に出席してテスト前にしっかり勉強すれば、少なくとも在日になることは絶対ないと言えますので、入学を考えている方はご参考に。

 

 Q:塾生の出身地域は?

 

私が入学するより昔は分かりませんが、今はもうほとんどが関東近郊出身者になっていると思います。
浪人を避けたい、実家から遠くに行って生活費がかかるのは避けたい、という意図があるのかもしれませんが、私の時代でも関東地域出身の方はかなり多かったですね。


自分は人口数万人の地方の片田舎出身ですが、田舎は田舎で地元志向が強く、ほとんどが県内の国立大学、出ても隣県が多かったと思いますので、近場に行こうというのは全国共通だと思います。

 

ただ慶應の中では、地元の人がいないからと言って孤立することはないですのでご安心を。(その辺は社中協力の精神です!)

また、県人会という組織もあったので、これに入っておけば何とかなると思います。

 

Q:内部進学生はどんな感じ?

 

慶應義塾には付属高校がいくつもあり、そこからエスカレーターで大学に入ってくる方がいます。
感覚的には全体の3割くらいが内部進学生のような感じがします。


彼らの雰囲気はどうかというと、共通するのが「ガツガツしていない」というところですね。
彼らが慶應の雰囲気を作り出しているのかもしれませんが、泥臭さがあんまりないですね。
ただ、それはハングリー精神が無いわけではないので、ちょっと表現が難しいところです。


それ以外の特徴はあまり感じませんでした。
留年したり授業をさぼったりする人もいれば、真面目に勉強に取り組む人もいます。
金持ちっぽい感じがある人もいますが、(少なくとも表面上は)中流な感じの人もいます。
そして、これらは外部生でも同じです。


内部vs外部、という派閥的なものは感じなかったですね。

自分は外部生ではありますが、外部生が本気で自分たちが慶應の正統派だと主張しても内部生には勝てませんし、そもそも対立する意味がないですから。(これも、社中協力の精神です!)

一般的に、人脈は内部生、勉強の出来具合は外部生の方に優位性があるので、お互い有利なところを提供すればそれでいいんだと思います。

 

Q:幼稚舎に入るには?

 

紛らわしいですが、慶應付属の小学校が慶應幼稚舎です。
1学年4クラスあって、6年間クラス替えがないという特殊な学校ですが、ひとたび入ってしまえば大学までエスカレーターなので、実業家、有名人、医師や士業、地元の名士等々の子女が入学するようです。


幼稚舎に入るための塾まであるようですが、この幼稚舎に入学するにはどうすればいいか考えてみました。
私見なので、これを実践すれば入学できるわけではないのであしからず。)


まず、慶應義塾側の立場から考えてみると、幼稚舎の生徒には次のような要素を求めると思います。

 

・評判にかかわるので、問題を起こさない子供に来てほしい。
・長年にわたり慶應義塾にかかわるので、しっかり多額の寄付をしてほしい。
・教育コストが多額にかかるので、それに耐えられるような収入があり、そして脱落しないでほしい。
・日本を背負って立つような人物になってほしい。(必ずしも、頭脳面に限らず。)
・その他、入学させると慶應義塾にプラスになる子供に来てほしい。


正直なところ幼稚園・保育園の子供の将来性なんて、面接する側もわからないと思います。
ではどうするかというと、親を見て子供の将来を予想するはずです。
つまり、親の年収は当然として、親がどのような教育方針を持っているか、家庭円満か、夫婦の関係はどうか(対等か、支配従属関係か等)を細かく見ていると思われます。
それを見る過程で、親が嘘をついていないかを見破るため、純粋な子供に質問したり表情を読み取ったりすると思います。


そうすると、以下のような子供なら入るチャンスがあるということです。

 

・親が日本的に有名な人物である。
・いわゆる超富裕層家庭である。
・子供がギフテッドと呼べるレベルで優秀である。
・上記のいずれかを満たしたうえで、落ち着きがないとか、極端に空気が読めないとか、周りに悪影響を与えず、表情が明るく抑圧されていない子である。


逆に言うと、英語が喋れますとか、小学校6年で習う漢字が書けますとか、掛け算割り算ができますとか、普通の親が考えつきそうでかつ、教育として吹き込むことができる程度のレベルでは、選考にはほぼ考慮されないと思われます。

上の条件の中で一番難しいのがギフテッドだと思いますので、ここで勝ち残ろうと考える人が増えると、塾は塾でも慶應義塾ではなく入試専門塾が儲かるだけでしょう。

 

さて、皆様のご家庭はチャンスありそうですかね?

慶應の仕組的には上になればなるほど入りやすくなるので、小学校で入るよりは大学で入る方が容易だと思います。

 

 

長くなったので今日はこの辺で失礼します。
柳 ショーゴ

【慶應義塾大学】慶応大学はどんなとこ? その2

こんにちは、柳です。
前回に引き続き、慶應義塾大学についてお話してみたいと思います。

私のかなり限定的な人生を通して見聞き経験した、完全な主観の意見です。

 

Q:金持ちが多いのか?

 

多いか少ないかでいうと、多いというのが実態だと思います。
ただし、meanは多いけれどmedianとmodeはそこまで高くなく一般的ではないかと思います。

(※mean:中学校までで習ういわゆる平均値
  median中央値。持ってる資産や稼ぐ所得の順に並べたときにちょうど50%に来る人の水準
  mode最頻値。年収〇万円~▲万円等のカテゴリで分けたとき、もっとも人数が多い多いカテゴリの水準)


つまり、ごく一部の大資産家が平均を引き上げて金持ち学校になっているけれど、その人たちを除けばほかの学校と変わらない、ということです。
ただし、そのごく一部が残した伝説的なエピソードは噂ベースで残っています。

その一つをご紹介します。

 

とある慶應生(男)と、実家が金持ちだけど見た目普通の慶應生(女)が、都内で開かれる飲み会に参加しました。
飲み会自体は楽しく進みお開きになりましたが、この男子学生と女子学生の家の方向が同じという事で、二人でタクシーで帰ることになりました。

男子学生は特段の下心を持っていたわけではありませんでしたが、タクシーに乗ってすぐ、女子学生が「ここで降ろしてほしい」と言います。
女子学生が降りると言った場所は、都内にもかかわらずうっそうとした森のある日比谷公園のような場所です。
男子学生は「え?もう降りるの? こんな何もないところで降りてどうするの?」と答えます。
女子学生は「いや、降りたいからとにかく降ろしてほしいの。」と言います。
男子学生は、自分が下心を持っていると誤解され、身の危険を感じさせてしまったのではないかと思い、「気分がすぐれないの?何か誤解があったら申し訳ない。しかし、こんな森の前で女性を一人降ろすわけにはいかない。ちゃんと家まで送るから乗りなよ。」と言います。
そうすると女子学生は驚愕の返事をします。
女子学生「いや、ここが私の家だから。」
男子学生「え?この森みたいなとこに住んでるの?」
女子学生「そうだよ。あの信号からこの信号まで(数百メートル)が私の家の敷地なの。」

この女子学生の父親は日本でも有名な「■さん」(※おそらく、日本の小学生以上だったら老若男女全ての人が知っていると思われる存命の実業家)だったと噂で聞いています。

 

Q:慶應生はもてるのか?

 

男性も女性も、もう人によるとしか言えないですね。
もてる人はもてるしそうでない人はもてない。

人間の好みは、慶應というブランドよりも外見や性格に大きく左右されるものなので、人によります。

ただし、私が見聞きした範囲では「慶応大学生です。」と言ってマイナスに作用することは男女共にないと思います。
この点、女子学生が「東大です。」と言うと不利になることがある東京大学とは違いますね。

 

Q:頭がいいのか?

 

傑出した人は少ない(医学部を除き、こういう人は東大に行ってしまう。)ですが、効率性を求める学生が多いからか、スマートな人が多い感じがします。

ただ、ダメな人はダメですね。
ここでいうダメな人は、勉強をしない人の意味です。
勉強しなければ頭が良くならないので、つべこべ言わずにやりゃ良いのに、やらずに毎日昼まで寝てしまう。
そういう人もいました。

特別な理由なく留年する人の多くは、「勉強しなければ頭が良くならない」という当然なことがわからない人なように思います。

 

Q:勉強熱心なのか?

 

これも両極端ですね。
きちんと授業に毎回出席する人はいますが、サボり癖のある人はだんだんフェードアウトして最後の方は出ません。もちろん、単位も落とします。

一方、私の友人は自分が選択していない授業も興味があるからと毎回出席していました。
確か、「経済発展論」という割と応用チックな科目だったと思いますが、勉強が本文の大学生の鑑だと思います。


かくいう私は、ゼミはやりましたが大学の授業は必要最小限に毛が生えた程度で、それ以外は公認会計士の勉強をしていました。
大学は勉強をする習慣+何を勉強するかを自分で探す力、が身に着けばOKだと思うので、これで良しとしてください。

 

Q:経済学部はどんな雰囲気か?

 

早稲田の政治経済学部と並ぶ慶應義塾大学の看板学部だけあり、1学年1,200人が定員で大所帯です。
法学部は法律学科と政治学科でそれぞれ600人と少しいるので、人数だけなら法学部の方が多いはずですが、経済学部はかなり人数多かったイメージあります。

 

学部入学案内 - 学部入学定員・入学者数:[慶應義塾]

 

学部間偏差値比較としては、医学部はそもそも別格、理工学部は唯一の理学系学部なので別枠、総合政策と環境情報はキャンパスが違うので別枠、看護医療はよくわからない、として残りで考えるとこんな感じでした。
(注 当時、薬学部はなかった。)

【15年前】

法学部法律 > 法学部政治≒経済学部 > 文学部 > 商学部


今はこんな感じで、そんなに変わってないですね。

【今】

法学部(法律・政治) > 経済学部・文学部 > 商学部

「東進」の大学入試難易度ランキング|偏差値一覧(Cライン偏差値)

 

経済学部の学生は、良くも悪くも慶應生らしいという感じがします。

文系内部進学者のほとんどが経済学部に行きますので、必然的にその雰囲気が漂う。

一方で外部生も多いので、両者の雰囲気が良い感じに調和しています。(表現が下手で申し訳ありませんが・・・)

 

平たく言うと、慶應義塾生のイメージそのまんまが経済学部のイメージ」と思ってもらえれば良いかと思います。

 

Q:ラーメン二郎は好きか?

 

「横浜家系ラーメン」と呼ばれるジャンルがありますが、「二郎系ラーメン」と呼ばれるジャンルの総本山、ラーメン二郎慶應三田キャンパスのそばにあります。

2019年に長年の慶應生への貢献(?)が評価され、この店の店長さんが「特選塾員」になったようです。(ネット記事だけでなく、三田会組織の別の会員の方からも聞きました。)

 

ラーメンについては、一言でいうと大量の太麺を脂の浮く豚骨スープで合わせ、上にキャベツやもやしを大量に乗せてニンニクの投入を選択できるというかなり暴力的なラーメンです。
二郎ラーメン小サイズでさえ、他の店で大盛ラーメンを食べて「結構食ったなー」と感じたときにまだもう一食分残っている、と感じる状況に匹敵する量です。


好みの問題ですが、正直に申し上げて、おいしくない・・・
しかしながら、3か月くらいたつと無性にまた食べたくなるという中毒性のあるラーメンです。
「おいしくない、だけどなぜか好きでまた食べたくなるラーメン」という相反する概念を統合した、今までに経験したことのない感覚を教えてくれたラーメンでもあります。

昼12時に店に行くと2時間待ちの行列、朝10時半に行くと30分くらいの待ちになるくらい人気ですが、この行列に並ぶことで味がうまく感じるようになります。
なので、食べるなら空いた時間を狙うよりは、あえて1時間くらい待つ時間帯に行く、というのも良いと思います。


こんなラーメンなので、慶應生でも好みは真っ二つに分かれます。
絶対二度と行かないという人もいれば、友人何人かでシェアするために鍋を持参してラーメンを入れて持ち帰る(通称、「鍋二郎」)人もいるくらいです。


私は、、、おいしくないとかいろいろ言いましたけど、好きですよ。


長くなったので今日はこの辺で失礼します。

柳 ショーゴ

【慶應義塾大学】慶応大学はどんなとこ? その1

こんにちは、柳です。
今日は私の卒業した慶應義塾大学について、少しお話してみたいと思います。

学部の種類や定員などHPを見てわかることは極力触れず、学生や雰囲気等中心に触れますが、15年くらい前の話になりますので、悪しからず。

 

また、内容は全て私個人の偏見によるものですので、大学や関係機関への問い合わせはお止めください。

 

Q:校風はどんなもの?

 

慶應大学(というか慶應義塾)は、福沢諭吉によって設立された日本で最古の私立大学です。(ちなみに、大隈重信早稲田大学も同日に設立なので、日本最古の私立大学は2つあることになる。)

理念はいくつかありますが、有名なものは以下になります。


独立自尊

おそらく最も重要な理念
「独立国家としてやっていくには国民の独立が必要だ。」
「国民が独立するにはその心身の独立が必要で、自分自身を尊重し人としての高い品位を保持する人、これが独立自尊の人だ。」
という主張です。

福沢諭吉がこれを唱えた背景には、当時は欧米の列強がアジアを植民地化していた時代ですから、日本も外国に乗っ取られる危険がありました。

それを回避し、国の独立を維持するにはどうすればよいかを考えた上での思想と言えます。

ただし、あまりにも理念的かつ高潔な話なので、学生でこれを意図的に心がけて実践している人はまずいないと思われます。

 

実学の精神

おそらく最も誤解されて解釈されている理念
現実世界で実際に役に立つ学問が最上である。机上の空論に過ぎない学問は不要。現実世界で実際に役に立つ学問の最たるものは経済学である。」
という意味ではありません!

 

実学=science(諭吉は「サイヤンス」とルビを振っている)で、実証・実験を重視した学問こそ実学で、目先役に立ちそうだけど何の根拠もない話は虚学に過ぎないと言っています。

ここからは推測ですが、神学や宗教研究などはそこに分析が加わりますので虚学ではなく、一方で「○○だけダイエット」とか「素人でも勝てる100倍銘柄を探す方法」とか、科学的根拠・検証が薄く個人の感覚や感想の域を出ていないものを虚学と言うのだと思われます。

 

 

・半学半教

おそらく最も行動で実践すると怒られる理念(笑)

理念としては、
「塾内に先生は福沢先生ただ一人存在する。それ以外の者は教授であっても学長であっても学ぶ者であり、生涯学ぶことを止めてはいけない。」
先に学問を修めた者は、自分が理解したことを後輩に教えなければならない(半教)。そして、教えた後輩との問答の中で学ばなければならない(半学)。
というものです。

慶応内ではこの理念を基に、大先輩であっても教授であっても学長であっても「○○先生」と呼んではならず、「○○君」と呼ぶことになっています。
今もだと思いますが、休講を知らせる掲示板には、「○○君 ミクロ経済学 7月1日2限 休講」という張り紙がなされます。(休講札には定型フォームがあり、担当教授が自分の名前と科目や日時を手書きで書く形式ですが、教授名の下にすでに「君」と印字されています。)


ただし、実際に授業やゼミの講師(教授・准教授)に対して、君付けで呼んでいる学生は見たことないです。(普通に○○先生と呼んでます。)


個人的には最も好きで、実践している理念ですが、さすがの私も君付けは実践しませんでした。

ある意味で、実生活では建前(君で呼ぶ)と本音(先生と呼ぶ)を使い分けることが肝要だ、という教えなのかもしれません。

 

・社中協力

おそらく世間的には最も有名な理念。

元々は慶應義塾の資金難という問題が生じた時に、出費を抑えるために「みんなで協力しよう」というところから生まれたもの。
慶應義塾出身者は年齢、卒業年度や地位の上下問わず協力すべき、という理念で広まっていて、乱立する三田会(同窓会組織)、会社内の慶應閥というところまで来ています。

これらがいいかどうかは別にして、社会に出た今でも慶應義塾大学出身です、という人には親近感あるのも事実です。
(感覚的には、同じ県の出身者というくらいの近しさ。)

 

 Q:大学生(塾生)の雰囲気は?

 

勉強・スポーツ・サークル・バイト・遊びのうち、どれかまたは二つくらいを集中してやる人が多いです。

自分は会計士受験もあってほぼ勉強でしたが、友人には勉強・バイト・サークル派、スポーツ・サークル派、もいましたね。
そして、サークル・遊び派だった人は留年してしまいました・・・


イメージとしては洗練されたかっこいい・かわいい人が多い、というものがあるかもしれませんが、自分を見てもらえればわかる通りそうではない人も普通にいます。
時代の変化による学生の変化もあるとは思うが、社中協力を謳うためか、社交性が高い人が多い印象

あとはゼミの先生が仰っていましたが、良い意味でも悪い意味でも効率性を重視する人が多い気がします。
「この科目は単位取得が楽だから取ろう。」「ここは勉強しても試験に出ないから手を抜こう。」という感じです。


こうやって並べてみて俯瞰すると、「大企業の中堅・ベテランクラスの先輩や上司に可愛がられるタイプ」という感じがします。
慶應出身者は就職に有利と言われますが、偏差値や社中協力精神だけでなく、大企業が求める、良く言えば柔軟性のある、悪く言えば尖ったものがなく丸い人が多いからかもしれませんね。(北野唯我さんの本でいう、「秀才」タイプが多い)

 

一方で、忖度しすぎる人が多いのではないかと思います。
柔軟性があるので、直観的に変だと感じる、本来受け入れてはいけないことまで受け入れてしまう傾向があるのではないかと思います。

具体例でいうと、品質偽装。
「今までこうやって来たんだ」とか、「上の指示だから」とか言われると、持ち前の柔軟性を発揮して批判せずに「わかりました。やっときます。」と言うタイプが多いように思います。


今は働き方改革とかで残業規制が相当厳しくなっていますが、15年くらい前に「サービス残業やるように求められたらどうするか?」というテーマで友人と議論したことがあります。
私は、「雇用契約で労働を提供する以上、その対価をもらうのは当然のこと。だから、誰が何といおうとも残業は申告して残業代はもらう。それを咎められたら証拠集めて内部通報や監査役に訴え出る。」と主張しました。
一方友人は、「柳が言っていることは正しいんだけど、世の中そうじゃないじゃない。サービス残業しないと会社が回らないんだし、先輩がつけていない中で自分だけ残業つけるわけにはいかないよ。」と主張しました。
議論は平行線で双方共主張を譲ることはなかったのですが、二人のその後の人生は面白いです。


その友人とはちょくちょく話をする機会があるのですが、私は、訴え出る先の役職だった監査役になり、会社の中で空気を読まずに間違ったことは間違っていると社長や役員に主張してお金をもらっています。
友人は、「上司先輩の話には"Yes" or "はい"で答えろ!」と言われるような体育会系の某大手証券会社の個人富裕層向け営業になり、空気を読んでサービス残業し、休日も上司に半ば強制的に付き合って飲みに行く、という働き方でお金をもらっています。


誤解無いように申し上げますが、私が友人をさげすんでいるように見えたり、皮肉を言っているように聞こえてしまったりする人もいるかもしれませんが、そういう意図は全くありません。
(単に、自分にはこの友人のような働き方は出来ないという主旨であり、おそらくもらえている給与・報酬は私の方がかなり少ない)

しかし、東芝のチャレンジとか、三菱自動車の品質偽装とかを見ると、この友人がこのような会社にいたら間違いなく不正に加担してしまっただろうなとは思いました。(一方の私は、大企業だったら非管理職の主任止まりだと思います。)


まとめますと、慶應学生の雰囲気としては、いくつかの事に絞って頑張る傾向にあり、良くも悪くも柔軟で社会性が高い、ということがあげられるのではないかと思います。

 

長くなったので今日はこの辺で失礼します。

柳 ショーゴ

【戦国】v1 今日のゲスト:武田 信玄(たけだ しんげん)

こんにちは、柳です。
栄えある戦国武将1回目。今日はこの人です。


【本日の主人公】:
武田 信玄(たけだ しんげん)

 

【出身・生年没年】:
甲斐(山梨県) 1521-1573

 

【所属勢力】:
武田家

 

知名度】:S

(S:三国・戦国に詳しくない人でも知っている。A:少しかじったことのある人なら知っている。B:三国・戦国が好きな人なら知っている。C:三国・戦国がかなり好きな人じゃないと知らない。D:まず知らない。E:ヤナギもよく知らない。 ※筆者であるヤナギの主観による。)

 

【主人公のプロフィール・生涯】:
甲斐の国の戦国大名で、通称「甲斐の虎」
暴君であった父親を国外に追放し、甲斐の国を掌握。当時最強と言われた騎馬軍団を率いて、隣の信濃をほぼ手中に収める。
上杉謙信北条氏康という当時でも名将と謳われた武将を相手にしのぎを削り、上洛しようとした途中に病死。
旗印の風林火山は、孫子の兵法に由来する。

 

【エピソードや特筆すべき事項】:

1.高坂昌信(とされている人)へのラブレター

有名な話ですが、武田信玄は配下である武田四天王と呼ばれた一人、高坂昌信という人にラブレターを送っていて、その手紙が現存しているようです。

 

内容は、

「(浮気相手と言われているとある"男"に)私は言い寄りましたが断られたのでそれ以上先には行っていません。」
「あなた(高坂昌信)と深い仲になりたいのに疑われてしまっては、もうどうしようもないです。」

というもの。


少し補足しますと、キリスト教的な考えが日本に広まるまでは日本人は性に対してかなり寛容で、その一形態として同性愛(衆道)が行われていました。
よくあるケースとしては、大名の息子より少し年が若い男子をそばに置き、衆道関係にさせたとか。
また、さすがに戦場に妻や側室を連れてはいけないので、戦場においての大名の性欲発散という意味合いもあるようです。


織田信長前田利家森蘭丸、伊達正宗の片倉景綱、あたりが有名ですが、衆道相手は出世できるので、みんなその地位につきたかったようです。


そして武田信玄は、衆道相手であった(とされる)高坂昌信(とされる人物)にこのような手紙を書いているんですが、イメージは相当壊れますよね。
しかも、浮気相手も男ですし・・・。いや、逆に女だったら許せるのかもしれないですね。

 

2.水洗トイレを考案

武田信玄の居城、躑躅ヶ崎館には、信玄用の水洗トイレがあったようです。
仕組みとしては人力で、事前に木で作った樋を通しておき、信玄が鈴を鳴らして上の方で控える人に伝え、そこから樋に水を流していたとか。

そして、信玄はこのトイレのことを「山」と呼んでいたようです。
家臣が、「何で山なんですか?」と尋ねると、「山には草木(臭き)が絶えないから」とウィットに富んだ答えを返したようです。

 

【ヤナギの月旦評】:


当時、孫子の兵法を日本で最も深く研究した人物。

おそらく、意思は別として当時天下統一に最も近かった戦闘力を持った人だったと思います。


ただ、残念だったのがまずは生まれた場所ですね。
木曽馬という馬の産地であったため騎馬は優れていましたが、本拠地が険しい山に囲まれた盆地です。
防衛には優れていますが打って出るには不向きで、動きが取れなかった主因ですし、そのくせ四方を上杉(長尾)、北条、今川、斉藤に押さえられ、強敵だらけでした。


また、武田家が元々は守護大名だったことと、父親を追放したことも痛かったですね。
守護大名からの移行なので、そのまま領地を戦争なく支配できたのはよかったですが、それは同時に国人(その土地の豪族)や有力家臣の意見を聞かないと一人では何もできないことを意味します。
イメージとしては、先代社長から会社を引き継いだまではよかったけれど、残った重役は自分より年上で自分よりも会社のことを分かっている人たちばかり。
新社長の意見を簡単には聞いてもらえなさそうですよね。


信玄の父親は確かに暴君でしたが、外向きはよかったので同盟関係を強固に築いていました。
しかし、追放でそれが破たんします。

ただでさえ周りが強敵だらけなのに、父親追放で敵が増え、さらに部下が言うことを聞いてくれない、そういう手詰まり感がある中で、内政では信玄堤を作ったり「人は城、人は石垣、人は堀」の言葉に代表されるような家臣の団結力を強化したりした手法は、やはり稀代の名君と言えるのではないでしょうか。

是非、ほうとうをつまみながら日本酒を飲んで信玄餅を肴に話をしてみたいですね。

 

もし、京都に近い兵庫県辺りに生まれていたらどうなっていたか、病死せずに織田信長とぶつかっていたらどのような戦いになったのか、というあたりは興味があります。
織田信長は相当信玄を恐れていたので、戦にならずに降参、ということもリアルにありえたかもしれません。

 

ちなみに、武田信玄は家臣やその息子に対して「昌」(祖父の信昌に由来)の字をよくあげていたようです。
そのため、武田の家臣には昌の字を持つ人物が多いのですが、これにあやかって私の息子にも昌の字を入れました。
余談すみません。

 

<ゲームの中>
ゲームの中では、最強クラスの総合力です。
騎馬を率いれば、上杉謙信クラス以外の敵であれば蒸発するくらいの戦闘力。それに加えて内政でも活躍できる、万能型。
加えて、山本勘助真田昌幸などの智将、山県昌景馬場信春などの戦争向き武将も部下にいるので、質に任せてまずは今川を倒して海を確保したい。


ただ、惜しむらくは、四方が強すぎるのと甲斐の国力です。時間がたてばジリ貧です。
あと、武田を滅ぼして信玄を配下にしても、義理が低くて裏切りやすいのはご愛嬌。

 

【ヤナギが思う、主人公に似たタイプや似た人】:
ディーゼル車メーカーの五代目の名社長


おそらく創業社長でもやっていけるでしょうが、生い立ちから見るに五代目社長くらいかなと。
ただし、創業社長が持つようなカリスマ性や判断力も備えた、剛腕ではなく融和型の社長です。

一方で残念なのが、環境にやさしくないディーゼル車(≒騎馬隊)を作っているところ。
これからは自動運転・EV(≒鉄砲)の時代なので、ディーゼルには早く見切りをつけ、今まで稼いだ資金と銀行から調達したお金で、新興EVメーカーや自動運転技術の会社を買収できれば活路があるでしょう。

しかし、武田信玄ならそれができると思います。

 

今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ

【戦国】日本の戦国時代について

 

こんにちは、柳です。
ここからは戦国時代に話が変わります。


まず、戦国時代ですが、諸説ありますが最も長くとると、応仁の乱(1467年)からスタートし、島原の乱(1637年)までの約170年間を指します。
この期間に生死が重なった人物がブログで取り上げる主人公になります。


この時代を大まかに説明すると、以下のようになります。


足利将軍家や名門の後継争いに、政治の主導権争いが加わり、応仁の乱がおこる。

・各地の守護大名も戦争に参加したが、次第に疲れて各地へ戻る。

応仁の乱によって将軍家の威光が失墜し、その体制下にあった一部の守護大名は部下に取って代わられ(下剋上)、群雄割拠の時代になる。

・そのような中、織田信長が現れて日本統一を目指す。

・しかし、織田信長は志半ばで倒れ、それを引き継いだ豊臣秀吉が日本を統一し、豊臣政権が発足。

豊臣秀吉朝鮮出兵失敗などの失政の中死去し、再び戦乱に戻ろうとする。

・豊臣政権下で最も力のあった徳川家康と反徳川派が関ヶ原で激突し、徳川家康の勝利により反徳川派が一掃される。

関ヶ原後も反徳川を貫いた豊臣一族がついに滅ぼされ、徳川が日本を治める。

・以降も反徳川派は隙あらば徳川を滅ぼそうと頑張っていたが、島原で起こったキリシタン一揆の鎮圧(島原の乱)により、ほぼ戦争が無くなり戦国時代が終わる。

 

こうしてみると、豊臣秀吉の政治と体制づくりがうまくいけば、豊臣秀吉の時代で戦国時代が完全に終わっていたかもしれませんね。(もっと言えば、織田信長が日本統一していれば、秀吉や家康は地味な扱いだったはず。)

また、キリスト教の伝来(1549年)鉄砲伝来(1543年)がこの時代であり、日本人の価値観や戦争の方法が大きく変わった激動の時代ともいえると思います。


この時代の書物も色々ありますが、有名なのはポルトガル人宣教師であるルイス・フロイスの「日本史」ではないかと思います。
織田信長豊臣秀吉と謁見したこともあり、日本の中心に近いところから見た当時の日本を、西洋人の視点で記載された貴重な資料で、相当詳しく書かれているようです。

特に西洋の文字は漢字と違って原則として発音をアルファベットにするので、日本の文書で文字(漢字)として残っているけどどう読むか分からない人物等の読み方が分かる、という効果もあります。

 

ただ、ここで疑問なのは、なぜ異国の後進国である日本のことを、先進国出身のポルトガル人がここまで詳しく書いたのか、という点ですね。

完全に私見・独自説ですが、実はルイス・フロイスは、ポルトガルから日本に送りこまれたスパイだった、もしくは本人も知らずのうちにスパイ活動をさせられていたのではないか、と考えています。

 

当時、ヨーロッパでは大航海時代を迎えており、海外の植民地をいかに獲得するかが重要でした。
そして、海外の国を攻め滅ぼすには武力に訴える方法もありますが、この方法だと死傷者がたくさん出ますし、その後の統治でも反発が予想されるのでいい方法とは言えません。

最良の方法は、植民地にしたい場所の先住民を心服させ、その土地を差し出してもらうのが一番です。


そこで目を付けたのがキリスト教
言い方は悪いですが、それまで聞いたことも無い宗教を流行らせ、その教えを説く人に従わせることが出来れば、心を支配したも同じです。
そうなれば容易に攻め込んで植民地化完了です。


現に、キリスト教に触発された九州の大名、大友宗麟は、キリスト教国を作ろうとまでしたようです。

ということで、将来の来るべき侵略・植民地化に備えて、日本のことを事前に詳しく知っておこう、という理由でフロイスに日本史を執筆させたのではないか、というのが自説です。
そうすると、伴天連追放令を出した秀吉や、キリスト教禁止を確立させた徳川家光は、日本を外国から守ろうと割とまともな政策を出した、とも言えそうですね。

 

今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ 

 

【三国志】三国志を理解するにあたって参考になる項目 ~宦官について~

こんにちは、柳です。
中国の歴史を考えるうえで、日本人としてはよく理解できない制度に宦官があると思います。

古代の日本は、中国の律令制のかなりの部分を適用しましたが、宦官制度については除外しています。
ですから、少なくとも日本の過去の王朝においては宦官の制度が存在せず、日本人についてはよくわからないとなるのでしょう。

 

宦官とは?

 

まず宦官ですが、簡単に言うと去勢された男子の官吏(官僚・公務員)です。
そういうと、どうやって2000年前に男性のシンボルを除去したのかという疑問がわきますが、麻酔なんてものが無い時代なので想像を絶する激痛なのは間違いないでしょう。(想像するのを止めます。)


宦官を目指した者の3割が去勢時に死んだとも言われています。
大昔の遺物だろうと思われるかもしれませんが、清の時代まであったようで、今から百年前に宦官はいたようです。


普通、ここまでのリスクを負って宦官になりたい人はいないだろうと、われわれ現代人は思うでしょう。
実際に宦官になる人は、刑罰の一種として去勢された人、奴隷や捕虜、もいたようですが、多くは自ら志願して宦官になったようです。
なぜなら、宦官になると身分が保証され、食いっぱぐれが無くなり生活も安泰というのがその理由のようですが、でもなぜでしょうか?

このあたりを考えると、なぜ中国に宦官がいたのか、日本に宦官がいないのかが判ってきます。

 

なぜ日本には宦官がいなかったのか?

 

まず、以前の記事でも書きましたが、中国では易姓革命思想があります。
おさらいですが、この思想は、天の負託を受けた皇帝が国を治め、ある程度の権力が与えられるが、それを邪なことに使ってしまえば天は愛想を尽かしてしまう。その時は、別の者が皇帝を倒し、新しい国を作って取って代わる、という思想です。

つまり、現皇帝又はその先祖は、前の国の皇帝を倒して取って代わったわけですから、当然、自分も同じように倒されるかもしれないと怯えるわけです。
俗っぽいたとえ方だと、略奪愛を成就させた人は将来、自分も略奪されるのではないかと思い、相手を必要以上に縛り付けるようなものでしょう。


自分や自分の子孫が倒されないようにするには、自分以外の者に力を付けさせないことが一番です。
そして、力を付ける最も確実な過程は、先祖代々財産や地盤を受け継いで力を拡大再生産していくことでしょう。


そうすると、皇帝にとって宦官は非常にありがたい存在になります。


宦官は去勢しているので子孫が残せません。つまり、どれだけ財を築いても一代限りで終わってしまうので、力の拡大再生産が起こりません。(三国志の英雄曹操の父は宦官の養子に入ったので、養子を取るということはあったようですが。)
子孫が残せないとなると宦官と近い親戚関係になることも無いので、外戚など皇帝の子供が宦官に血の面で支配されることもありません


このように、皇帝が自分の立場を守るためには非常に便利な存在が宦官であり、彼らは皇帝に重用されて権力を握ることになります。


一方の日本には、易姓革命の思想が無く、天皇自体が神ということになります。
つまり、天皇家からすると、皇族以外で自分に取って代わる存在が無いことを、自身も国民も理解を超えた感覚として認識しているので、革命が起こらず基本安泰です。

そうすると、自分の立場を脅かす存在が通常は存在せず宦官に頼る必要が無い、宦官制度は不要ということになるんだと思われます。


ただ、逆にこれは古代中国人からは不思議に思えるのでしょうね。
「誰かが、オレが天皇になろうと思わないのか?」という疑問は出てきそうです。


私見ではありますが、おそらく、日本人には天皇に取って代わるという思想自体が無く、そんなことを言い出せば信用を失うからではないかと思います。
道鏡しかり、平将門しかりですが、どこかで天皇就任は阻まれます。
むしろ、どうしても権力を握りたければ、「今の天皇に近づいてその威光を利用した方が早い」と考えるんだろうと思います。


どちらが制度的に良いのかは判りませんが、古代中国に宦官制度が根付いたのは、易姓革命思想においては必然であったのかもしれませんね。
三国志の時代も例に漏れず、宦官の専横で幕が開け宦官の重用で蜀と呉は滅んでいます。

 

今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ

【ゆるネタ】DQNについて

こんにちは、柳です。

実はかなり昔にミクシィで書いた日記のネタがあるのですが、改めて読み返すと面白そうなものがあったので、いくつかこちらに移行しようと思います。(一部修正しています。)

 

2007/11の投稿

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唐突ですけど、自分の「名」って好きですか?

こういう質問をされると、少なくない人がそんなに好きじゃないって答えるそうです。
親や縁者がおそらく一生懸命考えて付けてくれた名前だと思いますが、付けられる方は人生で最初の「自分の力でどうにもならない壁」になると思います。


ただ、以下の場合には自分の名前を変えることが可能なようです。


①偶然に犯罪者と同姓同名
②珍名が恥ずかしい
③専ら本名以外の名を使用しており本名よりもそちらの方が知られている
④僧侶になるため名前を変える
⑤異性に間違えられる
⑥家に代々伝わる世襲名を名乗る


①犯罪者と同じ名前になっちゃった、なんて嫌ですねぇ。こういうケースでは割と簡単に改名できるようです。

③これは芸名やペンネームとかです。杉本高文さんや長谷川公彦さんは「明石家さんま」や「島田紳助」に難なく改名できるようです。

④や⑥もまあ、家系図や僧籍の証明があれば可能なようです。

微妙なのが⑤。自分の名前が性に合わないってケースですけど、どこまで認められるのか本当にびみょー。たとえば、政治家の亀井静香氏は「改名したい!」って言ったらできるんでしょうか?www
議論が残るところですが、⑤も改名のきっかけとしては通るようですね。


そして敢えて残した②。ここからがこの日記の趣旨w
これに該当する人は本当に可哀想だと思います。

 

自分の名前が「光宙」(ぴかちゅう)だったらどうですか!?
名前の振り仮名に「スズキ ピカチュウ」とか書くんですよ!?

 

自分の名前がハム太郎だったらどうですか!?
縦書きだったら「公太郎」だってごまかせますかねwww


以上はウィキからの引用に手を加えてみたものですが、↓にもっと面白い名前があります。

dqname.jp

 

ありっちゃありかな、という名前が無いでも無いですが、親にはもっと「じーちゃんやばーちゃんになった時でもしっくり来る名前」を考えてほしいものです。
「麗音菜愛梨亜(れおなあめりあ)」とか付けられたらどうしましょう。数十年後に孫から「レオナアメリアおばあちゃん」って呼ばれます。
それに耐えられる人がどれくらいいるでしょうか。


親としては、子供に世界で一つしかない名前をつけたいのでしょう。
ただ、ここまで行くと行きすぎですよね。
確かに人名漢字はどう読んでもよいとされていますが・・・
親が子供を私物化している、虐待の第一段階ではないでしょうか?

 

一応補足しますと、文豪の森鴎外(彼は医者でもあるインテリ・エリート)は、子供に「杏奴」(アンヌ)とか付けています。

自身の留学経験から自分の名前が外国人にうまく読まれなかったため、洋風の名前にしたらしいです。

当時としてはやっぱり特異な名前だったらしいですが。


個人的には、「宏」(ひろし)でもいいとおもいます。
親が一生懸命考えた名であれば、それは世界に一つしかない名前ですから。
余談ですが、「ひろし」という名前は日本の男性に一番多い名前のようで、「さとうひろし」さんは日本に数万人いるそうです。


というわけで、ここからは私の予想ですが、15年後くらいには日本で「改名」ブームが来ると思います。
『これであなたも理想の名前に』を謳い文句に、さまざまなコンサル会社ができ、「公認改名士」なーんてのができちゃったりしてwww
家庭裁判所には長蛇の列ができ、ヒロシやカナコなんて普通の名前が勢いを盛り返してくるのでは?


あと、私は自分の名前は気に入っています。初見では絶対読めないですけど、間違いなく世界でただ一つの名前でしょう。
あぁ、オレの名前が「華魯々」(けろろ)とかじゃなくてよかった~

 

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12年経ちましたが、未だに「改名」ブームは来ていませんし、公認改名士もできていないですね。「退職代行」なんてのは出来たのに、こちらはまだですね~。

 

「そっちが先か~」と思いましたが、見誤りました。

 

 

今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ

 

【時事】日韓の外交バトル ほぼすべての日本の評論家に絶望的に欠けている2つの視点

こんにちは、柳です。
今回は日韓の外交バトルがテーマです。(結構炎上しそうなネタで恐縮です)


概要簡単に説明しますと、日本が韓国への半導体製造材料の輸出優遇措置を停止し、その後、貿易上の優遇措置が受けられるグループA(ホワイト国)から韓国を格下げした、という決定を行いましたが、これを不服とする韓国が、大統領や与党は日本の姿勢を糾弾し、一般市民は不買運動やろうそく集会を開いて「NO JAPAN」、「NO 安倍」を連呼する、という問題です。

 


正直なところ、慰安婦や徴用工や領土問題等諸々に対する両国の主張は、歴史的事実がどうであっても平行線にしかならないと思いますし、これに双方の国民が賛成・反対、親日反日・親韓嫌韓したところで、相手国にとっては何の意味も持たないでしょう。

日本国民として日本政府には正当な主張をして頑張ってもらいたいと思いますが、慰安婦がどうなのか、徴用工がどうなのか、という点についてここで熱く語るつもりは有りません。


そんな中で個人的に気になったのが、日本のテレビや新聞でコメントしている評論家の発言です。
具体的に名前を出してとやかく言うつもりは有りませんが、外交のプロ、韓国研究者、政治学者、経済学者だけでなく、弁護士、新聞記者、交渉のプロ、等々言われる方々が(そして、多くの場合は自称であるが)好き勝手に日本政府に物申しています。

日本には(一応は)言論の自由がありますのでどういう考えに基づいてどういう主張をしても全く問題ないのですが、特に日本政府の対応に反対の立場からの評論家に、傲慢さを感じさせる2つの共通点があるように思います。

 

①自分は何でも知っている、という傲慢さ
②自分が知らないことは何も無い、という傲慢さ

 

①の典型的な発言としては、「最終的には日本の経済が痛めつけられ損をする。」等です。

しかし、ちょっと考えてみればわかりますが、日本政府が半年もかけて入念な準備を重ねて用意して、慎重に慎重を重ねて切ったカードが半導体製造装置の原料の絞りであり、グループA除外だったと思われます。
当然ながら、経済のシミュレーションは深く繰り返した上での決定だと考えるのが自然ですし、経済以外の要素(国防、対第三国等)の検討もしていたと考える方が自然です。

評論家のコメントをよくよく聞いてみると、その理由として「半導体の製造が滞ると日本の完成品製造が滞る」とか、「代替化が進んで日本のシェアが奪われる」とか、およそ個人が1日考えれば出てくるアイデアを、さもドヤ顔で主張する評論家は正直滑稽に見えます。(実際に日本が損をするのか韓国が損をするのかは、年月が経たなければ分かりませんし、どの範囲で見て損得を判断するのかは難しいですが)

 

つまり、「自分は日韓の関係については全知全能であり、日本政府は自分が知っていることは何も知らない無知蒙昧である」という上から目線からのコメントが多いと感じます。

 


②の典型的な発言としては、「今回の問題は米国にとっても由々しき事態なので、米国を敵に回すことになりかねない。」というようなものです。

言うまでもなく日本は米国の同盟国で、良いか悪いかは別として、相対的に力を持っている親分は米国でしょう。
一方の韓国も米国の同盟国であり、その韓国とぶつかるにあたり、事前に親分にお伺いを立てることは十分に有り得ると思いますし、やっていたと考える方が自然でしょう。

また、外交は一般的に国家機密の中でも最も秘密が守られるべきもので、国民に知らされていない情報は数多くあると思われます。

にもかかわらずそれを理解できない、つまり、自分の知らない情報が世の中には存在する、あるいは相手は自分が知らない情報を知っているかもしれない、という事実に気付けない評論家のコメントには失笑してしまいます。

 

評論家は好き勝手言うことが仕事であり、過激なことを言わないとテレビや新聞に呼ばれず生活が出来なくなるという事情があることは理解します。また、健全な批判は権力の暴走を防ぎより良い次元に世の中を昇華させる、ということも理解します。
しかしながら、それらを差し引いても聞いてて恥ずかしいと感じるコメントが多く、もうちょっとどうにかならんもんかなぁ、と思って日々ニュースを見ています。


そういう知恵のない言われなき誹謗中傷にさらされながら、買う必要のない恨みを買ってまでも決定を下す政府には、個別には反対の政策もあるにしろ、頭が下がる思いを感じました。

 

このブログの読者の皆様も、特に批判的なコメントをする人を見た時に、その人は何でも知っていると勘違いしていないか、自身が知らないことがあるという姿勢を保持しているか、を観察するとその意見の本質が見えてくると思います。

 

この気付きを他山の石にして、「人を批判する時こそ謙虚に」を守っていきたいと思います。


今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ

【三国志】三国志を理解するにあたって参考になる項目 ~中華思想と易姓革命について~

こんにちは、柳です。
前回に続いて、今回も中国の思想を書いていきます。

 

異民族・中華思想易姓革命について


中華思想とは簡単に言うと、中国皇帝が世界の中心であり、その皇帝と同じ民族である中国人が最高の民族であり、その周りの東西南北の非中国人(東夷・西戎北狄・南蛮 つまり異民族)は、人の道から外れた禽獣に等しい、と考える思想ですね。
良いか悪いかは別にして、選民思想はどのような民族にも少なからずあるものですし、当時の世界から考えると納得できなくもない考え方です。


ちなみに、日本は東夷に含まれます
後漢書東夷伝で漢委奴国王の話が出ていたり、日本でも昔は東北の人を蝦夷と呼んでいたりしたこともありますので、夷は東側を指すのでしょう。


こうしてみると、選ばれし中国人の頂点に立つ皇帝は絶大な権限を持っていてやりたい放題できると思えますが、実はそうでもないようです。
中華思想に基づくと、天は己に代わって皇帝に地上を治めさせているけれど、悪政ばかりやって徳を失った王朝・皇帝は天が見切りをつけ、そのときに革命が起きるとされています。

これが易姓革命で、簡単に言うと革命容認論ですね。

 


なので、皇帝でない人が今の皇帝は徳を失っていると判断して行動し成功すれば、王朝の交代すら容認されるという思想なので、割と過激です。
皇帝は、実は他の者から革命を起こされないかと常にビクビクしていたとも言えそうですね。


殷の紂王は、周の文王とその息子の武王に滅ぼされました。
文王と武王は自身が紂王を滅ぼしたことを正当化する必要がありますが、易姓革命的には前提として悪政が必要です。
そして、歴史は勝者が作ることを前提に易姓革命の考え方を踏まえると、実は紂王はそこまで悪くなかったのに実態以上に悪い君主とされてきた可能性は高そうですね。

 

また、この思想は日本には持ち込まれなかったと思われます。


理由としては、まず、中国の皇帝はあくまで天帝から統治を任された人間にすぎないということが考えられます。
人間だから間違いをするわけで、間違いをして天に背くようになったら誅されても仕方ないと考えます。


一方、日本の天皇は現人神と言われるように、人間ではなく神それ自体です。
天皇は人間ではなく神なので間違いもあり得ない。
そして、神自ら統治している体を取るので、易姓革命の思想が成り立たないんだと思います。(天皇家万世一系

※話がそれますが、古事記日本書紀の考え方では一般の日本人も神の子孫であるため、上記記載が正確かといわれると自信ありません。その点、ご容赦ください。


だからこそ、中国は4000年の歴史の一方で王朝は1000年続かないですけれど、日本の天皇家は少なくとも1500年以上続いている所以じゃないでしょうか。

 

今日はこのあたりで失礼します。

柳 ショーゴ

【家系図作成承ります。】当家系図作成projectがお答えするQ&A

こんにちは、家系図作成project代表の柳です。
今回は家系図作成に関するQ&Aを一覧形式で記載します。
他業者のHPに記載されていた「Q」を拾ってきて回答を加えたものですが、ご依頼のご参考になさってください。


(家系調査について)

Q 家系というのは、何年・何代たどれるものでしょうか?


A 除籍謄本がどこまで残存しているかによりますが、もっとも遡れた場合であれば200年くらい前に生まれた人の氏名と生年月日、その親の氏名まで遡ることが可能です。60代くらいの方を想定すると、それぞれ4代前の氏名と生年月日、5代前の氏名がわかります。
一方、それより昔であれば、昔に作成された家系図が残っていない限りは困難です。(つまりは、大名・歴史上の人物クラスや天皇家高家など。)

 

Q 自分以外の人の家系調査もお願いできますか?


A 直系親族であれば可能ですが、兄弟姉妹やおじ・おばなどはできません。夫や妻の場合はその当事者からの直接依頼を受けることで可能ですが、依頼を受けられない元配偶者などはできません

 

Q 家系調査をした結果、思わぬ事実が発覚して困ることなどはあるのでしょうか?


A 想定されるケースとして、以下があり得ます。
・隠し子が発覚
・元配偶者の間に、依頼者が把握していない子供がいる。
・離婚、養子縁組、離縁
これらが疑われる場合はお客様に連絡し、家系図に記載するかどうかの判断を仰ぎます。

 

Q 家系図の出来上がりまでの期間はどれくらいでしょうか?


A 2か月くらいを見てください。追加料金が発生しますが、短納期も可能ですのでお問い合わせください。

 

Q 戸籍の系統とは、どういう意味ですか?


A 以下のとおりです。
1系統:基準となる人の父親の父方のみを遡っていく。
2系統:1系統に加えて、基準となる人の母親の父方も遡っていく。
家系図作成projectでは全系統を記載しますが、「取れる戸籍はすべて取り、徹底的に戸籍調査するプラン」とイメージください。

 

Q 完成した家系図に、いとこが載っていないのですが?


A 家系図は、戸籍で判る範囲で記載します。戸籍は直系尊属しか取得できないため、傍系になるいとこの戸籍情報は取得できません。従い、いとこの氏名や生年月日が戸籍上は判らないため記載できません。なお、別途戸籍が入手できる場合(いとこ等が家系図の趣旨に賛同して自ら戸籍を取得してくれた等)や、依頼者が個人的に生年月日等を知っている、という場合はご指示いただければ加えることは可能です。

 

Q 去年葬式に出た大叔母(結婚歴あり)の没年月日が記載されていないのですが?


A 前項と同じく、家系図上は戸籍で判別できる範囲で没年月日も記載します。このケースの場合、事実上亡くなったことをお客様が知っているという状態であり、戸籍上は判別つかないので没年未記載となります。なお、その方の直系親族の協力が得られ、戸籍謄本を取得してご提出いただける場合や、依頼者が個人的に生年月日等を知っている、という場合はご指示いただければ加えることは可能です。

 

Q 家系図に家紋を入れることは可能ですか?


A はい、判明すれば入れることはできます。ただし、特殊な家紋でデータが取得できない場合は入れられない可能性もあります。

 

Q 戸籍調査以上の調査、例えば現地調査等も行っていますか?


A 申し訳ありませんが、当家系図作成projectでは行っておりません。ただ、目的等のお話を伺い、候補となる業者を探すお手伝いはすることができます。

 

Q 作成した家系図は、相続の際の事実証明文書として使用できますか?


A 残念ながらできません。目的が異なることと、私自身が(司法書士有資格者であっても)実際に司法書士登録をしておらず作成の権限がないためです。

 

Q ご先祖の職業は分かりますか?


A 残念ながらわかりません。今は見ることができない壬申戸籍には書かれていたようですが、出生地による部落差別などが問題となり、現在は入手不可になります。

 

 

 

(調査料金について)

Q 料金はいくらですか?


A こちらの記事をご覧ください。

kakeizu-history.hateblo.jp

 

Q 料金は前払いですか?


A いいえ、後払いです家系図作成の業界では前払い、又は2回払いが多いようですが、当projectは後払いとしています。

 

Q 実費など別途必要になる経費はありますか?(後から請求されることはありますか?)


A 以下になります。


【料金に含まれるもの=当projectから追加請求しないもの】
・契約最終合意前の面談に係る交通費、宿泊費、日当
家系図冊子作製や和紙への印刷等の外注費
・戸籍謄本発行手数料、郵便代・送料、筒代
・その他、通常想定される事務経費(家系図作成に使用するPC代、トナー代等)
・不可抗力により当方が受けた損害にかかる補償費(民法第650条第3項にかかる賠償請求権は放棄します。)

 

【料金に含まれないもの=当projectから追加請求するもの】
・契約最終合意できなかった時において、面談するためにかかった交通費、宿泊費
・A3家系図本表を入れるための額代
・特別な対応を要する要望に、実際に対応した時にかかった実費
※面談時に本人確認書類(免許証等)のコピーをもらい受けますが、そのコピー代はご負担ください。

額については、こちらで用意することはいたしませんので、ご依頼者様が好きなデザインの額をお店等でお求めください。

原則として、通常の家系図であれば別途かかるものは額代くらいとお考え下さい。

 

 

Q 料金の支払い方法は?


A 振込のみになります。クレジットカードやペイパル等は申し訳ありませんが対応しておりませんのでご了承ください。また、振込手数料は、これも申し訳ありませんがご負担ください。

 

Q 自分で調査をしたもの、他の業者が作成したものがありますが・・・


A 家系図作成を引き継ぐことも可能です。ただし、家系図や年表・略歴は一から作成が必要になりますので、値引き幅は若干となります。

 

 

(申込みについて)

 

Q 遠隔地でも対応可能ですか?


A はい、可能です。当家系図作成projectの方針として、受注前に面談を行う事を強く推奨しています。遠隔地でも原則として訪問いたしますので、その際にご不明点はお問い合わせください。(面談後に失注となった場合、旅費等の実費負担は発生しますのでご注意ください。)

 

Q 家系図の注文を検討していますが、申込みの際に必要なものはありますか?


A 申込は面談の際に行うことを想定しておりますが、以下をご用意ください
戸籍入手のための委任状(用紙はこちらで準備します。私が直接持参し、その場で押印していただくことになりますが、事前にフォームを送ってお客様で出力+事前押印いただく方法も可能です。)
本人確認書類(免許証など)のコピー。裏面のコピーを含む。
基準となる方の本籍地・筆頭者の情報(依頼者と基準となる方の戸籍謄本をご用意いただければ、それでも構いません。)
基準となる人の家の家紋情報

 

Q 返品できますか?


A 申し訳ありませんが、商品の性質上返品はできません。ただし、内容に誤記がある場合は納品後1年以内であれば交換・補修等行います

 

Q 申し込み後に解除はできますか?


A 解除は可能ですが、理由の如何を問わず、総額の8割の料金がかかります

 

Q 料金をだまし取られるのではないかと不安なのですが?


A 料金に関しては納品後の後払いとしていますので、全額前払や一部前払いを行う他の業者よりも、料金詐取のリスクは限りなく低くしています。

 

Q 司法書士行政書士でない人でも家系図作成はできるのですか?


A はい、法制度上は可能です最高裁判例と参考ページをご参照ください。

ka-ju.co.jp



ちなみに当家系図作成project代表の私は、司法書士試験に合格しており、未登録ですが戸籍の読み込み等はできますのでご安心ください

 

Q 完成品はどのような感じですか?


A 別記事で書いていますので、こちらをご覧ください。また、当家系図作成projectではご契約前の面談を行っております。実際の現物に近いサンプルをお持ちしますので、手に取ってご確認ください

kakeizu-history.hateblo.jp

 

Q 他の親族に配るために家系図冊子、家系図一覧表が複数ほしいのですが?


A 追加料金がかかりますが、いずれも可能です。家系図冊子に戸籍謄本を綴じたい、という場合は戸籍を2通取りますので、この場合は事前にご依頼ください。
戸籍謄本を綴じない家系図冊子、家系図一覧表であれば、受注後はもちろん、納品後でも複製可能です。

 

以上がQ&Aになります。


今日はこの辺で失礼します。
柳 ショーゴ


家系図作成のご依頼やお問い合わせは以下まで。
shogo.yanagi1982@gmail.com

【家系図作成承ります。】家系図作成の料金について

こんにちは、家系図作成project代表の柳です。


前回の記事で、家系図作成のセット内容をご紹介しました。
具体的には、

家系図冊子(A4 家系図本表、略歴・年表、戸籍謄本等)
・額入れ用の家系図本表(A3)
・これを入れる筒(卒業証書を入れる筒をイメージしてください。)
家系図本表、略歴・年表のpdfデータ

家系図本表は、一覧式。
家系図作成に当たっては、先祖を遡れるだけ遡る。

となります。


この1セットの料金ですが、合計280,000円プラス消費税でお引き受けいたします。
この料金の条件、含まれるもの、含まれないものの詳細は以下のとおりです。

 

想定する前提条件


家系図の基準となる人家系図を作るにあたって、先祖をさかのぼる大本となる方)の年齢が、概ね60歳前後以上であること。(没年齢が60歳前後以上であれば、すでにお亡くなりになった方であっても可能です。)
 ※35歳前後の1世代下の方を基準としたい場合はご相談ください。


依頼者と基準となる人が同一である、又は直系の親族であること。(何の関係もない人が興味本位で有名人の戸籍を入手することはできません。また、兄弟姉妹関係でも原則としてできません。)


家系図の形式は一覧式で、応えるにあたって特別な対応が必要な要望がないこと。


・急ぎではなく、通常の納期(2か月程度)の依頼であること。
 ※短納期で納品が必要な場合はご相談ください。

 

 

料金に含まれるもの=当projectから追加請求しないもの


・契約最終合意前の面談に係る交通費、宿泊費、日当
家系図冊子作製や和紙への印刷等の外注費
・戸籍謄本発行手数料、郵便代・送料、筒代
・その他、通常想定される事務経費(家系図作成に使用するPC代、トナー代等)
・不可抗力により当方が受けた損害にかかる補償費(民法第650条第3項にかかる賠償請求権は放棄します。)

 

料金に含まれないもの=当projectから追加請求するもの


契約最終合意できなかった時において、面談するためにかかった交通費、宿泊費
・A3家系図本表を入れるための額代
特別な対応を要する要望に、実際に対応した時にかかった実費
※面談時に本人確認書類(免許証等)のコピーをもらい受けますが、そのコピー代はご負担ください。

 

注意事項その他


・契約最終合意後にキャンセルする場合は、理由の如何を問わず、8割(224,000円プラス消費税)をもらい受けます。
・日本全国対応します。
・戸籍の収集から家系図作成に至るまですべて公認会計士である私が担当し、無資格者に作業させません


以前の記事でも記載しましたが、依頼者やご家族の想いと私の想いを練りこめるような家系図を作りたいと思いますので、ご用命の際は是非ご連絡ください。
また、お問い合わせも歓迎です。

 

今日はこの辺で失礼します。
柳 ショーゴ


家系図作成のご依頼やお問い合わせは以下まで。
shogo.yanagi1982@gmail.com